初の女性大統領になるかもしれないカマラ・ハリス〜あまり知られてない副大統領の経歴は?〜

初の女性大統領になるかもしれないカマラ・ハリス〜あまり知られてない副大統領の経歴は?〜

世論調査によるとカマラ・ハリスは初の女性大統領になる可能性が十分にあるが、彼女の経歴はアメリカ国内でも広く知られていない。ここでは、ハリス副大統領のこれまでの人生を辿ってみる。

ハリスの生まれと育ちはどのようなものだったの?

ハリスは1964年にカリフォルニア州オークランド市で生まれた。母親はインドから移民してきた生物学の研究者で、父親はジャマイカから移民してきた黒人の経済学者。二人はカリフォルニア大学バークレー校で知り合い翌年結婚したが、ハリスが7歳の時に離婚している。

母子家庭で育ったハリスは、高校卒業後、ワシントン首都にあるハワード大学(Howard University)に進学し、大学卒業後は弁護士になるためカリフォルニア大学ヘイスティングス法科大学院(現サンフランシスコ法科大学院)に進学した。ちなみに、ハワード大学はいわゆる歴史的黒人大学(”Historically Black College and Universities”(差別のせいで黒人が教育を受けられなかった時代に黒人に教育を提供することを目的として設立された大学))の名門校である。

政治家になる前のハリスのキャリアはどのようなものだったの?

ハリスのキャリアは検察官一筋である。

最初の仕事は、生まれのオークランド市が所在するアラメダ郡の副検察官(deputy district attorney)だった。就職の8年後、サンフランシスコ市の検事長に誘われて同市の副検察官に就任し、その2年後、サンフランシスコ市役所の法務部に転職した。

大きな転機はその2年後に訪れる。カリフォルニア州は(アメリカの多くの州と同様に)検事長を公選で選ぶ。ハリスは2002年のサンフランシスコ市検事長の選挙に出馬し、56%の得票率で元上司の再選を拒んだ。4年後の選挙では、実質無投票当選している。

検事長に再選した4年後の2010年、ハリスはカリフォルニア州の検察のトップである司法長官(attorney general)の選挙に出馬する。カリフォルニア州は民主党の牙城だが、ハリスはこの選挙で共和党候補に1%未満まで追い上げられた。4年後の2期目の選挙では15%の差をつけて快勝している。

検察官としてのハリスは、選挙中は死刑制度の反対を唱えながら裁判では死刑制度を援護するなど、選挙中の政策と検察官としての実績に乖離があったという評判が付きまとい、これは後に大統領選に出馬した際問題となる。

ハリスの連邦議員としてのキャリアはどのようなものだったの?

司法長官の2期目中だった2016年、ハリスはカリフォルニア州の連邦上院議員の選挙に出馬した。どの州も連邦上院議員が2人しかいないので、20年近く務めた現職が引退したことは滅多にない機会だったのだ。

この選挙でのハリスの主な対抗馬は民主党の現職連邦下院議員で、最初から最後までハリスの優勢は揺るがず、最終的には60%以上の得票率で圧勝した。

連邦上院議員としてのハリスは州住民の思想に沿ったリベラルな実績を残しており、100人いる上院議員の中で最もリベラルな議員の1人だったと言われている。

大統領選の候補としてのハリスはどのような感じだったの?

上院議員の任期は6年だが、任期途中の2019年1月にハリスは大統領に出馬すると表明した。

アジア人とインド人をルーツに持ち、検察官と連邦上院議員としての実績があるハリスは当初極めて有力な候補とみられていたが、現実は厳しく、民主党の予備選が始まる前の2019年12月に撤退に追い込まれた。

大統領選で撃沈した理由は複数あった。

政策的には、主張がころころ変わる、またはそもそも何を訴えたいのかがわからないといった批判が絶えず、これは検察官としての実績に関してだけでなく、医療政策などでも問題となった。

マスコミ対応としては、あまりにインタビューでの不明瞭な発言が多く、ハリスのワードサラダが有名になるほどだった。

選挙活動としては、陣営内で派閥争いが絶えなく、早急に選挙資金が底をついたことが致命傷となった。

そんなハリスがなぜバイデンの副大統領候補に選ばれたの?

民主党の予備選を勝ち抜いたジョウ・バイデンは、予備選中に女性を副大統領候補に指名すると約束していた。

大統領選から撤退する前のハリスはバイデンを激しく批判していたものの、ハリスとバイデンはもともと知り合いだった。親交はバイデンの息子ボウ・バイデン(Beau Biden)がきっかけで、ボウがデラウェア州の司法長官を務めていた同時期にハリスがカリフォルニア州の司法長官を務めていたことから、2人は友情を築いていた。

ジョウ・バイデンは2015年に癌で死去したボウをとても慕っており、ハリスのボウとの友情がバイデンがハリスを指名する大きな要因になったと言われている。

副大統領としてのハリスの実績は?

バイデンが大統領選から撤退するまで、ハリスの副大統領としての評判は決してよいものではなかった。

副大統領は正式にはほぼ何の権力もないポストであることから、副大統領の役割は主に大統領の裁量によるものとなる。バイデンは2021年に、ハリスにグアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルからの移民問題の根本的な解決に向けた外交を担う役割を与えた。これがハリスが「国境のツァー(border czar)」と呼ばれることになった所以だが、ハリスがインタビューでこの任命を受けてから国境に視察に行っていないことを認めたこと(4:13〜)が今でも大きな失敗だったと語られている。

もっとも、それよりずっと問題視されたのは、ワシントン・ポスト紙が報道したパワハラ疑惑である。この記事では、副大統領の事務所のスタッフの出入りが激しく、ハリスは打ち合わせの前にスタッフが準備した資料に目を通さず、打ち合わせ中に準備不足が露出するとスタッフを叱責することが多々あると報道されていた。あるNGOは、ハリスが副大統領に就任した4年後、当初いた50人のスタッフのうち90%以上が入れ替わっていたとの報告を公表している

大統領選に出馬してからのハリスの評判は?

4週間前に大統領候補となったハリスは、それまでの不評が嘘だったように(特に民主党内で)人気が目まぐるしく急上昇している

また、マスコミの受けは好意的で、最近やっと応じたインタビューでも失言はなく、4年前の大統領が嘘だったように、今のところほぼ完璧な選挙を戦えている

この4週間のハリスの評価とそれまでのハリスの評価に大きく異なるところがあるため、この先投票日までハリスの評価がまた変わるかが注目される。

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