現職ニューヨーク市長の起訴の取り下げを巡って7人もの検事が辞任し、アメリカ連邦政府の司法省が荒れている。ここでは、なぜトランプ政権が民主党所属の市長の起訴を取り下げたのか、なぜ不法移民対策が関係しているのか、そしてなぜ辞任ドミノが起こったのかについて解説していく。
簡潔にまとめると、何が起こったの?
2021年11月に初当選し2022年1月にニューヨーク市の市長に就任したエリック・アダムズ(Eric Adams)は、ジョウ・バイデンが大統領だった2024年9月に、収賄や違法な外国からの選挙寄付の勧誘などの罪に問われ、ニューヨーク州南部地区連邦地検(U.S. Attorney’s Office of the Southern District of New York、通称「マンハッタン地検」)に起訴された。アダムズは無罪を主張し、(バイデンもアダムズと同様民主党所属であるにもかかわらず)自分はバイデン政権の移民政策を批判したため政治的な標的にされたのだと訴えた。
その後、11月の大統領選で強硬的な移民政策を掲げたドナルド・トランプが勝利し、1月の就任直後から大量な不法移民の強制送還を開始した。
そんな中、現地時間の2月10日(月)、司法副長官代理(Acting Deputy Attorney General)であるエミール・ボーブ(Emil Bove)がマンハッタン地検に対してアダムズに対する起訴の取り下げを指示した。だが、組織的な反発が起こり、7人の検事が立て続けに辞任した。
なぜドミノ辞任が起こったの?
検事が起訴の取り下げの指示に反発したためだ。
直接指示を受けたのは、マンハッタン地検でトップを務めていたダニエル・サスーン(Danielle Sassoon)検事長官代理(Acting United States Attorney)。彼女は、起訴を取り下げる理由が政治的であり、アダムズが有罪である証拠も十分にあるとして、指示を拒否して辞表を提出した。
サスーンだけでなく他のマンハッタン地検所属の検事も指示を拒否したので、ボーブは本件を司法省本部の公職廉潔部(Public Integrity Unit)に移動させ、当部に起訴の取り下げを指示した。だがそこでも当部の部長代理(acting director)と当部を監督している犯罪部(Criminal Division)の部長代理(Acting Assistant Attorney General)に反対・辞任された。
結局、マンハッタン地検と司法省本部で辞任した人数は7人に上った。
なぜニューヨーク市長の刑事事件に不法移民政策が関係してくるの?
2021年から2025年まで続いた民主党のバイデン政権は、国境警備が緩くメキシコからの不法移民に寛容過ぎたと広く批判されていた。不法移民問題は当初こそメキシコと接している南部の問題とされていたが、南部の州の(共和党の)知事が東北の(民主党が知事の)州に多くの不法移民をバスで送り込んだことで、問題が全国的に注目されるようになった。
ニューヨーク市も不法移民を送り込まれた街の1つである。アダムズ市長は市が不法移民への住居や食料の提供に年間50億ドル(約7600億円)もかけており、市民サービスに影響が出かねないと2023年から警鐘を鳴らしていた。
したがって、(所属する政党は違うものの)アダムズは起訴される前から不法移民問題についてトランプと通じるところがあった。
大統領選後、アダムズはどのようにトランプに接近したの?
今年に入ってから、アダムズはトランプに急接近している。
1月17日にアダムズはフロリダにあるトランプの私邸で会談した。その後、トランプの就任式に出席し、その翌日には民主党に批判的なFoxNewsケーブルテレビのインタビューに応じた。特に20日の就任式の出席については、この日がキング牧師記念日(Martin Luther King Day(黒人に対する人種差別への闘いで有名なマーティン・ルーサー・キング二世(Martin Luther King, Jr.)を祝う日))であり、黒人であるアダムズ氏がキング牧師記念日の行事の参加を見送ってトランプを優先したため、物議を醸した。
アダムズがトランプに接近していたのは大統領の恩赦を期待したのではないかと囁かれていたが、ここにきて、恩赦ではなく起訴の取り下げという意外なことが起こった。
そもそも、なぜ大統領(政権)は起訴の取り下げを命じる権限を持つの?
アメリカ連邦政府の仕組み上、起訴するか否かの裁量を持つ検事は政治色が強いポストだからだ。
アメリカ連邦政府の検察は94の地検に区分されており、各地検のトップである検事長官(United States Attorney)は(連邦上院の承認の下)大統領に任命される。検事長官の任期は大統領の任期と同様4年であり、大統領が代わると検事長官は辞表を提出するのが慣習だ。また、大統領はいつでも検事長官を解任できる。
検事長官は司法省本部の司法副長官(Deputy Attorney General)直属のポストであり、司法副長官は司法長官(Attorney General)直属である。司法長官の正副どちらも(連邦上院の承認の下)大統領に任命され、いつでも大統領に解任され得る。
つまり、大統領は司法長官、司法副長官経由で検事長官に命令を下すことができ、もし命令を拒否する者が出てきても、大統領がその人物を解任すればよいだけなのだ。
検察に独立性はないの?
政治色が強いアメリカ連邦政府の検察だが、政治からの独立性がないわけではない。
まず、政治職である検事長官も、内規や倫理規定によって政治からの独立が求められている。また、検事長官の下で働く検事(Assistant United States Attorney)は大統領に任命されない官僚のようなポスト(career civil servant)なので、彼らは独立性をより発揮しやすい立場にいる。
今回の辞任ドミノを始めたサスーンは、検事長官のポストに就いていたが官僚検事である。トランプ政権が発足して日が浅いことから正規の検事長官がまだ就任しておらず、サスーンは代理としてトランプに任命されていたのだ。
サスーンが独立性を発揮して辞任した背景にはこういった事情もあったと思われる。
最終的に起訴は取り下げられたの?
マンハッタン地検に加えて司法省本部でも検事が次々と辞任し、起訴を取り下げる検事がいなくなりかねない状況になった。
最終的には、現地時間の2月14日(金)の夜、個人的には反対するものの政権の意向に従うとして、公職廉潔部のベテラン官僚検事2人が起訴の取り下げを裁判所に要請する書面に署名したことで、1週間続いたトランプ政権と司法省の対立に決着がついた。
アダムズの刑事事件は終了するの?
起訴の取り下げには裁判官の承認が必要なので、刑事事件の終了は確実ではない。
裁判官は証拠審問を行って起訴取り下げの理由について深掘りすることができるものの、裁量は限られている。
本件においては、ボーブが証拠の十分性とは無関係の理由で起訴の取り下げを指示しているので、証拠審問が実施されることはほぼ間違いないと思われる。だが、検察が追求することを拒否している刑事事件を継続することは現実的ではないので、裁判官が最終的に起訴の取り下げを認めないとは考えにくい。
トランプは本件についてどのような発言をしているの?
トランプはアダムズの起訴の取り下げを命じたことを否定している。また、辞任した7人に関して大半は前政権の人たちでいずれは交代させられていたと主張している。(この点については、大統領権限で解任できたのは政治職だった2人だけなので、事実と異なる)
なお、本件を主導しているボーブは、トランプが起訴されていた刑事事件でトランプの顧問弁護士を務めていた人物であり、トランプと阿吽の呼吸で動いている可能性がある。
だが、そもそもボーブは、正規の司法副長官が連邦上院に承認されるまでの代理であり、検事長官に指示を出す立場にいるのは特別な事情があるからにすぎない。
司法長官に就任したばかりのパム・ボンディ(Pam Bondi)は本件についてほとんど発言をしていない。サスーンの辞表はボンディに充てられていたが、辞表を受理したのはボーブだった。
もはや、この件が誰の意向なのか分からなくなっている。
この騒動がニクソン大統領の「土曜日の夜の虐殺」に比較されているのはなぜ?
「土曜日の夜の虐殺(Saturday Night Massacre)」とは、1973年10月20日の土曜日、ウォーターゲート事件で特別検事(special prosecutor)に任命されていたアーチボルド・コックス(Archibald Cox, Jr.)をリチャード・ニクソン大統領(Richard Nixon)が解任しようとした事件である。
コックスはニクソン大統領がホワイトハウスでの会話を録音したテープの提出を求めたが、ニクソンはこの要求を拒否するだけでなく、録音テープの存在が明るみに出ることを恐れ、コックスを解任しようとした。
ニクソンは最初に司法長官のエリオット・リチャードソン(Elliot Richardson)にコックスの解任を命じたが拒否・辞任されたので、次に司法副長官のウィリアム・ラッケルズハウス(William Ruckelshaus)に同じ命令を出したが彼にも拒否・辞任され、最終的には訟務長官(Solicitor General)のロバート・ボーク(Robert Bork)が命令を受け入れコックスを解任した。
この出来事によりニクソン政権への不信感が高まり、世論の圧力によってニクソンは代わりの特別検事を任命せざるを得なくなった。いずれ録音テープは提出され、それがニクソンの辞任につながった。
今回、大統領政権の方針への反発で司法省内で辞任ドミノが起きていることは、土曜日の夜の虐殺と通じるところがある。だが、世間の批判に晒されたニクソンと異なりトランプは支持率が高いので、トランプが政治的ダメージを受けるとは考えにくい。
ニューヨーク州知事がアダムズを解任する可能性はあるの?
州法上、ニューヨーク州知事には州内の市長を解任する権限が与えられているので、理論上はアダムズは解任され得る。だが、過去に知事がこの権限を行使したことは一度もなく、今回もその可能性は低いだろう。
アダムズが9月に起訴された際も知事が解任するのではないかと憶測されたが、結局解任されなかった。現知事であるキャシー・ホウクル(Kathy Hochul)はアダムズと同様民主党所属だが、今回の騒動でアダムズが共和党のトランプに急接近していることから、特に民主党内においてアダムズの解任を求める声が高まっている。
アダムズは今年改選を迎える。共和党のトランプに急接近したことで彼の支持は暴落しており、民主党離党・共和党入党が噂されているほどだ(アダムズは過去に共和党員だった)。民主党牙城のニューヨーク市でアダムズが再選できる可能性は低くなっている。
アダムズがいなくなるのは時間の問題だと考え、ホウクル知事は先例のない決断をあえてしないだろう。