ジョウ・バイデン前大統領にUSスチールの買収を拒否された日本製鉄は、2025年1月6日、アメリカ政府を提訴した。ドナルド・トランプが大統領に就任した今、日本製鉄が訴訟で勝利したとしても合併が成立するのはぼぼ絶望的であることを解説していく。
これまで何があったの?
現在までの経緯を時系列でおさらいする。(日付はすべてアメリカの現地時間)
- 2023年8月〜USスチール社(US Steel)が、競合クリーブランド・クリフズ社(Cleveland-Cliffs)の敵対的買収提案を拒否した上で、他の会社に身売りすると発表
- 2023年12月〜日本製鉄がUSスチールを買収すると発表
- 2024年2月〜共和党のトランプ大統領指名候補が買収に反対すると表明
- 2024年3月〜大統領選出馬中だった民主党のバイデン前大統領が買収に反対すると表明
- 2024年9月〜バイデン前大統領に代わって民主党の大統領指名候補になったカマラ・ハリス副大統領(Kamala Harris)が買収に反対すると表明
- 2024年11月〜大統領選でトランプが勝利
- 2025年1月3日〜バイデン前大統領が買収を正式に拒否し、30日以内に買収計画を破棄するよう命令
- 2025年1月6日〜日本製鉄が大統領令の無効を求め、アメリカ政府相手に提訴
- 2025年1月13日〜クリーブランド・クリフズが、他社と組んでUSスチールを買収する案を準備していることを認める
- 2025年1月13日〜バイデン政権が買収計画を破棄する期限を6月18日まで延期
- 2025年1月20日〜トランプ大統領就任
日本製鉄にとって訴訟での勝ち目はどれほどあるの?
「勝利」の定義にもよるが、最終的な目標が買収を実現することである以上、それを勝ち取れる可能性は極めて低い。理由は、法律上、大統領は買収を拒否するほぼ絶対的な権限を与えられているからだ。
日本製鉄がアメリカ政府を提訴したのは、決して勝ち目があるからではない。訴訟大国であるアメリカでは勝ち目がなくても訴訟を起こすのが日常沙汰であり、特に本件のような重要な案件であれば、駄目元でも提訴するのが常識であると言える。
大統領権限の法的根拠はどこにあるの?
アメリカには対米外国投資委員会(”Committee on Foreign Investment in the United States”、通称「CFIUS」)と呼ばれる制度がある。
この制度の下、海外企業によるアメリカ企業の買収はCFIUSが国家安全保障の観点から審査し、その結果を踏まえて大統領が買収を阻止できる。大統領は、買収を拒否するか否かを判断するにあたって「国防に必要な国内製造(domestic production needed for projected national defense requirement)」を考慮でき、鉄は戦車等の製造に不可欠である以上、本案件はこれに該当するだろう。
通常、行政の判断は裁判所に控訴できるが、CFIUS制度を定めている法律は、大統領の拒否は裁判所による審査の対象とならない(“not subject to judicial review”)と明示している。つまり、連邦議会は裁判所から管轄権を剥奪することで、大統領に絶対権限を与えたのだ。アメリカ連邦憲法は連邦議会に連邦裁判所の管轄権の範囲を定める立法権を与えているので、この法律は違憲ではない。
これは異様に思えるかもしれないが、議会や裁判所と異なり、大統領は個人として迅速に動くことができ、国の安全保障に対する脅威を適宜判断できる立場にいて、軍の最高司令官(Commander-in-Chief)でもあることから、国家安全保障については大統領に委ねるべきという考え方は三権分立の観点から決して不自然ではない。
大統領権限には制約はないの?
CFIUS制度に基づく大統領の権限はほぼ絶対的であるが、完全ではない。実際、法律は大統領の判断に異論を唱える訴訟についてコロンビア特別区巡回区控訴裁判所で提訴される必要があると定めていることから、訴訟が起こされることは想定されている。
もっとも、訴訟はあくまで手続き的な不備を問うものでなければならず、大統領の判断自体は対象となり得ない。このことは法律の文面上だけでなく、判例上でも明確である。
日本製鉄もこの点は理解している模様で、訴訟は手続き上の瑕疵(日本製鉄の主張が十分考慮されなかったなど)を理由に、大統領令の無効とCFIUS審査のやり直しを求めている。
裁判所が提訴内容を認めれば日本製鉄の勝利になるのでは?
形式的に勝利しても、実態は勝利とは言えない。
繰り返しになるが、日本製鉄は手続きの不備について訴えており、裁判所も手続きの面についてしか判決を下せない。したがって、たとえ日本製鉄が訴訟で「勝利」したとしても、裁判所は大統領とCFIUSに対して審査のやり直しを命じるのが限界なのだ。
大統領に就任したトランプも買収への反対を表明してる以上、これは出来レースである。審査がやり直されたとしても、結局はトランプが最後にまた買収を拒否するだけだ。
この先どうなるの?
バイデン前大統領の命令は当初2月までに買収計画を破棄しなければならないとしていたが、この期限はその後6月18日まで延期された。
6月18日には重要な意味がある。日本製鉄とUSスチール間の買収契約上、この日までに買収が実行されないと、それ以降は双方が契約を解除する権限を持つ。契約が解除されると、どちらが契約を解除したかにかかわらず、日本製鉄がUSスチールに5億650万ドル(約800億円)の解約金を支払う必要が出てくる。
裁判所は6月18日までに判決を下すことが想定されるが、判決はせいぜいトランプ大統領に対してCFIUS審査のやり直しを命じるだけであり、買収を承諾する命令が下されることはない。
よって、6月18日までに買収が完了する可能性は皆無である。
裁判所がやり直しを命じたら、双方とも契約を解除するメリットはないのでは?
USスチールから見ると機会損失があるので、契約を解除する理由は十分にある。
この案件が発表されてから既に1年以上経っており、体力が弱体化しているUSスチールは衰退するばかりだ。見込みのない買収にしがみつくより、見切りをつけた方が延命のためになる解約金をもらえるし、他の合併相手を探せるようになる。
こうなったら、USスチールは一旦拒否したクリーブランド・クリフズからの提案も歓迎するかもしれない。
大統領がトランプに代わったことで承認される可能性はないの?
この案件が政治的に否定される運命にある背景はこちらで解説しているが、上述した通り、そもそも最初に買収への反対を表明したのはトランプである。2年後には中間選挙が控えており、トランプとして政治姿勢を翻すメリットは見当たらない。
考えられるとしたら、案件を承認する見返りとして日本製鉄からさらなるアメリカへの投資の約束を取り付けるくらいだが、繰り返し政治情勢を読み間違えて後手に回ってきた日本製鉄が今更うまく立ち回れるとは考えにくい。
日本製鉄はどうすればいいの?
もはや顛末は見えているので、今となっては解約金の減額が最良のシナリオだ。
USスチールは上場企業として株主への責任があるため解約金を全額免除するわけにはいかないが、日本製鉄が解約金の支払いを渋る姿勢を示せば、USスチールがある程度減額してでも早期に決着をつけた方が得策であると判断し、減額の交渉に応じる可能性がある。
同盟国である日本の企業による買収を拒否するのは理不尽では?
CFIUS制度に基づく大統領の拒否権は、もともと1980年代に多発した日本企業によるアメリカ企業の買収に対する懸念がきっかけで定められた。当時も日本は同盟国だったので、今回の買収の拒否は立法趣旨から大きく逸れているとは言えない。
さらには、日本にも同じような制度がある。
2024年8月、カナダの企業がセブン&アイ・ホールディングスの買収を提案すると、日本の財務省は翌月、後者を外為法上海外企業による投資を規制する対象の企業として、国の安全を損なう恐れが大きい「コア業種」に新たに指定した。これによりセブン&アイの買収計画は事前審査が必要となり、案件の中止が命じられる可能性が出てきた。日本にもアメリカと同じような制度がある以上、アメリカの制度が理不尽だとは言いにくいだろう。