2026年7月16日(現地時間)、ドナルド・トランプ大統領は11月の中間選挙に先立ち、「選挙の公正性(election integrity)」を政権の最重要課題の一つとして位置付ける全米向けの演説を行った。しかし、アメリカでは大統領選挙や連邦議会選挙であっても実際に選挙を運営するのは州政府であることから、大統領が選挙を完全に管理することはできない。本稿では、トランプ大統領が「選挙の公正性」を前面に打ち出した背景を出発点として、まずアメリカの選挙における州政府と連邦政府の役割分担を整理する。次に、有権者登録名簿をめぐるトランプ政権と州政府の対立を説明した上で、今回の演説と中間選挙との関係、そして日本への影響を解説する。
なぜトランプ大統領は全米向けの演説で「選挙の公正性」を前面に打ち出したのか
トランプ大統領は2020年大統領選で大規模な不正が行われたと一貫して主張しており、いまだにジョウ・バイデンに敗北したことを認めていない。今回の演説は、トランプ大統領の2020年大統領選挙に対する長年の執着の延長線上にある。
トランプ大統領は演説で、中国が2020年大統領選挙に介入したことを証明するものだと主張する機密文書を公開するとともに、非市民による有権者登録への懸念を訴えた。その上で、選挙に対する国民の信頼を取り戻すため、市民権証明を有権者登録の要件とするアメリカ有権者資格保護法(Safeguard American Voter Eligibility Act)、通称「SAVE法案(SAVE Act)」の早期成立を連邦議会に強く求めた。
アメリカの選挙は誰が管理しているのか
連邦制のアメリカでは、大統領選挙や連邦議会選挙であっても、実際に選挙を運営するのは連邦政府ではなく州政府である。さらに、州の中でも郡や市などが、有権者登録、投票所の設置、投票用紙の作成・配布、開票などの実務を担っている。
このような仕組みは、アメリカ連邦憲法が選挙の実施を基本的に州に委ねていることによる。そのため、有権者登録の方法、郵便投票の取扱い、本人確認の要件などは州ごとに異なり、アメリカには一つの全国共通の選挙制度が存在しない。
アメリカの選挙の仕組みを理解するにあたって重要なのは、日本の選挙制度と大きく異なる有権者登録制度である。日本では、住民基本台帳に基づいて選挙人名簿が作成されるため、有権者が事前に登録手続きを行う必要はない。一方、アメリカでは、投票を希望する本人が有権者登録を行い、有権者登録名簿に記載されることで投票資格を得る。登録方法や期限などは州によって異なり、転居や死亡などに伴う登録情報の更新や登録資格の確認も州が行う。
有権者登録名簿は、誰が投票できるのかを決める選挙制度の基盤である。その作成・管理が州に委ねられていることは、選挙管理の主体が州であることを示している。
連邦政府はどのように選挙に関与しているのか
アメリカの選挙は州政府が運営を担っているものの、連邦政府が一切関与できないわけではない。連邦政府は、有権者登録制度や登録名簿の維持管理などについて一定のルールを定める法律を制定しており、州は連邦議会の選挙や大統領選においてこれらの連邦法に従う必要がある。したがって、アメリカの選挙制度は、「州が選挙を運営し、連邦法が一定の共通ルールを設ける」という二層構造になっている。
この二層構造を支える代表的な法律が、1993年に成立した国家有権者登録法(National Voter Registration Act、通称「NVRA」)と、2002年に成立したアメリカ投票支援法(Help America Vote Act、通称「HAVA」)である。
NVRAは、有権者登録の機会を広げる一方で、州に対して有権者登録名簿を正確に維持管理することを求めている。転居や死亡などに伴う登録情報を適切に更新することも州の義務となっている。トランプ大統領が成立を求めているSAVE法案は、NVRAを改正し、有権者登録の際に米国市民であることを証明する書類の提出を州が義務付けるようにするものである。
HAVAは、2000年大統領選挙で共和党のジョージ・W・ブッシュと民主党のアル・ゴア副大統領が争った選挙を受けて制定された法律である。アメリカの大統領選は、州ごとの結果の積み重ねによって勝敗が決まる。2000年の大統領選挙では、フロリダ州の結果が選挙全体の勝敗を決定し、同州における両候補の票差はわずか537票だった。接戦となったため、投票用紙の再集計が行われる中、投票用紙の設計や投票機器の不備、郡ごとに異なる開票・再集計方法などが問題となり、最終的には連邦最高裁判所の判断でブッシュの勝利が確定した。こうした経験を踏まえ、連邦政府はHAVAを成立させた。同法は、それまで郡ごとに分散して管理されていた登録情報を州レベルで一元的に管理し、州全体で統一された電子的な有権者登録データベースを整備することを各州に義務付けた。
トランプ政権と州政府は有権者登録名簿をめぐってどのように衝突しているのか
連邦司法省は、連邦法であるNVRAとHAVAの執行を担当しており、州がこれらの法律に従って選挙を管理しているかを調査し、違反があると判断した場合には、訴訟を提起して州に法令遵守を求める権限を持つ。
トランプ政権の司法省は、NVRAとHAVAの履行状況を確認するため、各州に対して州全体の有権者登録名簿の提出を求めた。だが、多くの州はこの要求に協力しなかったため、司法省は1960年公民権法(Civil Rights Act of 1960)に基づいて、強制的に州に有権者登録名簿を提出させるための訴訟を起こした。
これに対し、多くの州政府は連邦司法省による有権者登録名簿の提出要求は1960年公民権法が認める権限を超えていると反論し、一部の州は、有権者の個人情報を保護する必要性や、名簿の提出が州法に抵触する可能性を拒否の理由として挙げた。こういった訴訟では既に、複数の連邦第一審裁判所が司法省の請求を退ける判決を下している。
なお、アラバマ州、テネシー州、ミシシッピ州など、共和党の基盤である16州は連邦司法省の要請に対して有権者登録名簿を任意に提出した。要請を拒否したことで連邦司法省に提訴されている30州のうち、多くはニューヨーク州やマサチューセッツ州など民主党の基盤であるが、ユタ州、オクラホマ州、アイダホ州など共和党の基盤の州も含まれている。このため、有権者登録名簿の提出をめぐるトランプ政権と州の対立は、単純な共和党対民主党の構図ではない。
今回の演説は中間選挙とどのような関係があるのか
トランプ政権にとって、2026年中間選挙は政権後半の行方を左右する重要な選挙である。世論調査では、有権者の最大の関心は依然として物価高や移民問題に集中しており、トランプ政権はこれらの分野で厳しい評価を受けている。一方、トランプ大統領自身は、2020年大統領選挙以来一貫して「選挙の公正性」を最重要課題として掲げ、連邦司法省による有権者登録名簿の調査やSAVE法案の成立を強く求めている。
しかし、この優先順位は、必ずしも共和党議員全体で共有されているわけではない。共和党議員の多くは、本人確認手続の強化など選挙の公正性を確保するための施策を支持する一方で、有権者の関心が高いインフレ対策を前面に打ち出す方が中間選挙では有利であると考えている。実際、トランプ大統領が成立を求めているSAVE法案は、連邦上院で可決に必要な支持を得られず成立の見通しは立っていない。
11月の中間選挙では、民主党が連邦下院の過半数を奪還する可能性が極めて高く、連邦上院でも多数派を奪還する可能性が高まっている。トランプ大統領が選挙の公正性を重要な政治課題として掲げ続ける背景には、想定どおり共和党が敗北した場合に備え、選挙結果を争うための政治的・法的な基盤をあらかじめ構築しようとする狙いがあるとの見方もある。
今回の演説の日本への影響とは
日本にとって今回の演説の意義は、トランプ大統領が「選挙の公正性」を政治課題として掲げたことよりも、中間選挙の結果を受け入れず、その正当性を争う可能性が改めて浮き彫りになった点にある。
日本政府や企業は、中間選挙の勝敗だけでなく、共和党が敗北した場合に、選挙結果をめぐる対立が政治的・法的な争いに発展するかどうかを含めた選挙後のトランプ大統領の動向を注視する必要がある。選挙結果をめぐる対立が激化すれば、アメリカ政治は選挙後、長期間混乱する可能性がある。